今日は泣きごとを言う。
だから、元気になりたい人は、速やかにこのブログを閉じるほうがいい。
元気のない人は、もっと元気がなくなるから、
パソコン画面から30メートルほど飛び退いた方がいい。
さて、どんな泣き言かと思う物好きで、強靱な精神力を誇るお方だけ、
先に進むがいい。
なにせ、今日はハナからみんなの生気を吸い取ろうという、
そういうつもりであるからして、
読み終わった時に、目の下にクマなんぞこしらえてしまっても、
当方責任持ちませんので、あしからず。
人間の子どもというのは難しい。
植物なら、水と空気とお日様で光合成して、
栄養やその他の環境が整えば大きくなる。
そこいくと、人間の子どもは大変にデリケートで難しいと思う。
自分も、遠い昔は人間の子どもだったけれども、
人の親になって始めて、更に深く両親に感謝できるようになった。
それまでは、自分ひとりで大きくなったような顔して、
いきがって生きていたように思います。
中学一年の長女は、隣町まで送り迎えをするので、
必然的に毎日数十分は、車の中で一緒に過ごす。
なんてことない話題で、二言三言話をする機会が毎日あるのだ。
一対一で向き合う時間が毎日10分でもあると、
子どもの気持ちが落ち着くと、なにかの本に書いてあったが、
なるほどそれは真実かもしれないと思う。
慣れない中学生活はストレスも多いようだけれども、
あれだけ短気な娘が、この頃なんとなく落ち着いているのだ。
小学校三年の三女がいま凝っているのは、
わたしの携帯に付いているメモ機能にラブレターを書くことだ。
メモ機能を使えるようになった三女は、
寝る前に「ままだいすき」などと書いて、丁寧にハートマークなんかも書いてくれる。
わたしは買い物などでメモ機能を覗いたときに、
それに返事を書いておく。
すると夜、三女がそれにお返事を書くということをしている。
面と向かっていえないことを、メモ機能を通してやりとりするのだが、
これが意外と楽しいのだ。
言葉遊びをかねて、二人でやりとりをしている。
しかし、昨日は学校から帰ってくるなりこう言った。
「お母さん、がっこういくのやだ! 学校ってやめられないの?
家で勉強してだめなの?」
「それはちょっとむずかしいよ。教育を受ける義務っていうのがあるから、
一応、勉強は学校でしなくちゃいけないことになってるからね、いちおうだけど」
この子は強情だから、一度言い出したら聞かないから、
こういう発言にはいちいちはらはらしてしまう。
小学校一年のおちびはまだ手がかかる。
そういえば、ギョウ虫検査ってまだあるのね。
小さい頃にやっていたアレ、原始的な手法に思えるのだけど、
意外や意外、まだあるんです。
先日、お尻の穴にぺったんしてあげたのだけど、
その時、なんて小さい体だろうと、しみじみ眺めてしまった。
足を折りたたんで小さくなって寝ている姿は、
頼りなげで、まだまだ親の保護が必要だと思わせるものだった。
六年生の次女がこの頃荒れている。
兄弟に当たり散らし、鬱憤のはけ口を探しているようで、
とくに八つ当たりされることが多い三女は、
しょっちゅう泣かされている。
寝る前に必ず、
「おやすみ。まま、ずっとずっと大好きだからね」
と言ってくれるのだけど、
昨夜などはその言い方が怒っているのだ。
「まま、もっとわたしにもやさしくしてよ」
とも言われた。
思えば、次女とはあまりゆっくり付き合う時間がないと、
反省させられた。
手がかからないのだけど、まだまだわかりやすい愛情が欲しいのだよね。
さてこのわたし、
この頃は、朝起きても何もする気がおこらない。
一体自分は何をしたいのかも、ここにきて見えなくなってしまった。
あれ? 目的地はここだっけ?
一体どこに行こうとしていたんだっけ?
道に迷っているような感じだ。
自分としては大変勇気の要ることなのだけど、
こういうときは(ふて寝)ということもありだと、横になってみた。
昼寝なんて、正しい有閑マダムの過ごし方のようで、ほんとに気が引けるのだが、
仕方がない。
すると、いつのまにかほんとに寝たらしくて、
「やばい! こうしちゃいられない、読み聞かせの日だった!」
と焦って飛び起きたら、勘違いだった。
読み聞かせは今朝行ってきたんだよ。
おちびは学校から帰ってきて、友だちの家に遊びに行ってるんだ。
ほっとしたけれども、妙な疲れが体に残り、嫌な気分だった。
ふて寝は、元気になりたいという目的にはさしたる効果なしと悟った。
ふて寝する前に読んだ絵本が心に染みる。
「桃子」江國香織 文 飯野和好 絵
7歳の少女と恋に落ちた17歳の修行僧の、悲しい恋の結末。
これは、装丁は一応絵本なんだけど、子どもには向かないね。
「ヴァイオリニスト」「ナビル」どちらもガブリエル・バンサンの絵本。
鉛筆画のさりげない線にうっとりする。
装丁が贅沢でね、こういう本を大人買いできたら幸せだと、そう思った。
どれも、子どもが読んだ場合、著者の思いをどれだけくみ取れるだろうかと考えた。
どれもおとなの絵本だね。
個人的には好きだけどね、こういう手応えのある絵本。
愛情が欲しいのは子どもだけじゃない。
おとなだって同じだよ。
人間が成長するためには、植物でいう光合成の要素にもう一つ、
愛情が必要なんだよね。
愛情の足りないらしい娘に、たっぷりその求めるものを注いでやれないわたしは、
みんなの愛情を吸い取ってとりあえず元気になろうと、
そういうわけだ。
ところで、どんな感じだい? 生き血を吸われた気分は。
わたしはといえば、泣き言を言ったところでちっとも元気になれていない。
血を提供してくれた皆さんには悪いけれども、
次回はもっと養生成分にあふれた血を提供していただきたいね。
よろしくたのむ。